漫画喫茶で八時間


「恋」の描き方が素敵な漫画を読みました。それもふたつ。どちらも素敵な漫画でした。そのせいか、柄にもなく、この私が、ひとを好きになりたいなぁとぼんやり思うのです。私は自分の気持ちよりも趣味の方が何億倍も大事なおたく女です。趣味は一般的に追っかけと呼ばれるものですがあまり追っかけ対象に人間的な感情を持ち合わせないタイプです。自分が恋愛をするよりも、追っかけ対象──所謂“推し”のお仕事がどれだけ素晴らしいか、そしてそれをどれだけ楽しめるかの方がよほど重要なのが私です。なので私の恋愛問題は、大袈裟なセクシュアルな話でもなんでもなくて、ただただ興味がないだけなのですが、今は珍しく恋をしたい気分なのです。明日になったら忘れてるであろう程度の、けれど私にとってはあまりにも大きな気持ちです‬。普段の私には必要のないものなので。

22歳の私はほとんど恋をしたことがありません。今となってはしようとも思わない毎日を送っています。少し前までは好きな──という枠に収めていいものかわかりませんが、限りなくそれに近い感情を抱いた男性がいました。恋と認めることは最後までできないまま始まるどころか始めようとも思わないまま全て終わりましたが、私は今でも彼が好きだった飲み物を覚えています。好きと認めたくなかったあの人が毎日飲んでいたそれをコンビニで見かける度にどうにも負けたような悔しい気持ちになります。まあこのことはまたいつかきちんと書くとして、私の人生においてこの「限りなく恋に近い好意」は片手で数えられるほどしか経験がありません。そしてそのほとんどが思い出したくないものです。と言っても終始何もしないまま終わったか、何もできないままに終わったか、というどうしようもない二択で、それでも、いやそれゆえに、恋というものに良い思い出がないのです。面倒で、厄介で、わたしには必要ないものだと思って生きています。中学生のとき、クラスの男子に告白されて彼氏ができたことがありました。高校生のとき、友達に告白されて彼女ができたこともありました。付き合うという行為はこの二回だけですが、この二人とも性行為には至りませんでした。しかし私は処女ではありませんし、むしろ経験は豊富な方なのだと思います。好きな人とキスしたことはありません。好きな人とセックスしたこともありません。初体験の相手はおろかファーストキスの相手もよく覚えていません。レイプされたとか凄惨な過去があるわけでもありません。何となく生きてきた私の人生ですが、こう思い返すとよくわからん経歴です。そんな私が今、恋をしたいな、とぼんやり思うのです。

できれば、男に生まれたかったと思うことがあります。同性の友達と過ごすとき、自分は男だと思うときがあります。自分は男なので、友達の女の子に恭しく接しようと思うのです。しかし思うだけで私は紛れもなく女です。これで身長が高く顔つきも美人系ならばボーイッシュファッションも様になりますし男装で生活でもするのですが、悲しいことに私は昔から女子の中でもかなり身長が低い方で、今も変わらず、且つ丸顔で、美形ではないですが頑張って化粧をして小綺麗にすればかろうじて「可愛い」の中に入れてもらえるタイプのようです。でも本当は、かっこいいと言われるのが一番嬉しい。近頃めっきり言われていませんが、小学生の頃と、それと数年前の飲食バイト時代には同僚の女の子の言ってもらえていました。だから、というか、まあとにかく、私は女の子の「彼氏」に憧れを抱いているのです。

どうしてこうなったのかはわかりません。どうしたいのかもわかりません。そして、性自認に悩んでいるわけでもありません。悩む必要もありません。けれど、本当の私がどこに属する人間なのか、ふと考えてみたくなりました。少しだけ考えてみると、私は本当の自分を誰にも話したことがないのだと気付きました。話そうとも思いませんし、話せるような相手もいません。そんな相手が欲しいわけでもないし、そのまま自分を見失うことにも別に抵抗はないのですが、なんとなく、なんとなく見つめてみようと、柄にもなく思ったのです。どうせ家族も友達も誰も見てないのだから、飽きるまで好き勝手に喋り散らかしてみようと思ったのです。恋がしたいなんていう漠然とした気持ちを、寝て起きて忘れてしまわない内に、書き留めておきたいと思ったのです。


どうでもいいことではありますが、こんな柄にもないことを考えていたら駅の階段で躓いてなかなかにエグい足の挫き方をしました。いやまあ、ここのとこ一日いっぺんはコケるけど、ひときわ痛かった、ていうか、現在進行系で痛い。柄にもないことはやっぱりよくないですね。いたた。